夏が恋の季節だなんて言いはじめたのは、どこの誰でやがりますかコンチクショー。

まぁ確かに、恋愛には色んな形がある。
だから今私がしていることも、恋愛の1つではある訳だ。

…失恋、だけど。



最初から望み薄な恋ではあった。
私はまだうら若き中学3年生の「女の子」で、相手はもう結婚もできる年齢の「男性」だ。
付け加えるならば、数年という長きに渡って親密なお付き合いをしているという 「彼女」という存在までいる。
私と会った時には既に左の薬指は売約済みの状態だったし。
もう苗字を同じにするだけという状態で、 しかしその1点だけを頼りにして、私は彼を想っていた。
それしかすがる場所がなかったとも言うが。



予定調和。
解りきった未来。
疑う余地すらなかった、私の恋心の突然死。

覚悟はしていた。
だから今日だけは誰にも邪魔されないように思いっきり泣いて、今度会ったらちゃんと「おめでとう」を言うんだ。
今日の号泣は、その為の儀式。



なのに、なぜ、私の隣には人がいるんだろうか。



「…さん」

穏やかとはいえ波の音にも消されず響く低い声が、珍しく優しく私の名前を呼んだ。
でも、私は答えない。
まずは泣くんだ。邪魔するな木手永四郎め。
わざわざ人気のない岬を選んで泣きに来ているというのに、追いかけてくるなんて気の利かない奴だ。
…いや、だからこそ、なのかもしれないけどさ。

「1人でこんな所に来るなんて、感心しませんね」

訛りの少ない丁寧語が、苛立っている今は特に鼻につく。

海を見つめて座り込んでいる私からは見えないけれど、きっと木手は眉をひそめているだろう。
怒ったような困ったような表情で、涙をぬぐうことも泣き顔を隠すこともしない私を呆れた顔で見下ろしているだろう。

クラスメートということくらいしか共通点はないけれど、校内でも特に目立つ連中の中心にいる奴だから、よく目に入る。
笑った顔なんてほとんど見た事がない。
特にこんな風にいじけている相手に対しては。

「…ほっといてよ」

喉の奥から搾り出したような、我ながらひどい声だ。

「別に飛び込んだりしないよ、2時間サスペンスじゃあるまいし」

海の見える岬とは言っても断崖絶壁というほどの高さはなく、大げさな物ではないけど手すりと階段があって少し歩けばそのまま砂浜まで行き来できるようになっている。
休日ともなれば人の往来も激しくなる場所ではあるが、あいにくまだ平日の午前中だ。
私達以外には誰もいない。
それが解っていたから、ここで1日、1人で泣こうと思っていたんだけど。
教室出る時に、感付かれちゃったのかな。
変に鋭い男は嫌いだ。

…鈍すぎる男ももう好きにはならないだろうけど。

「そんなことは心配してはいませんが」

そうだろうとも。
あんたはそんな男じゃないだろうとも。

「…サボるつもりですか」
「こんな顔して戻る方が問題あると思うけど」

とっくに目も鼻も真っ赤だ。
鼻水はかろうじてティッシュで押さえていられるけど、涙はどうしようもなく流れていく。
潮風が少し目にしみるのも影響しているかもしれない。

「気が済むまで泣いたら帰るから、木手は戻りなよ」

というか、早く1人にしてくれ。
泣いても泣いてもスッキリしなくて苦しいんだ。

ふぅっと短く吐息しじゃりっと砂を踏んで、木手の足はきびすを返した。
ゆっくりと遠ざかっていく足音を聞きながら、ようやく1人になれたと安堵のため息を吐いて私は膝を抱えた。

すごいな。まだ泣ける。
ここでこのままひからびたミイラになってしまえそうな勢いだ。

想いが届かなかったことが悲しい。
想いを伝えようとしなかったことが悔しい。
泣くしかできない自分が情けない。

幼いなりに一生懸命だった私の恋は、穏やかな波にさらわれて水中に溶ける砂粒のように静かに形を変えながら心に沈殿していく。
そしていつの日か、白くてキラキラした思い出になるだろう。
好きになってよかったと、やっぱり今でも思えるのだから。

遠くから1時間目の予鈴が聞こえた。
その音の中に、規則正しく砂利を踏む音が混じる。
誰かきたのだろうか。こんな時間に、こんな場所に。
補導員とかだと面倒だなと思い、ちらっと後ろを振り返ると、さっき学校に戻っていったはずの木手が近づいてくるのが見えた。

「…木手…?」
「はい、俺ですが、何か?」

あまり抑揚のない、でも良く通る声。
しなやかな体つきの上に乗っているのは相変わらずの無表情で。

「…え、なん、で」

予想外のことが起きたせいで涙は止まってしまっていたけど、鼻水はすぐには止まってくれなくて音を立ててすすり上げながら私は呆けた顔で木手を見上げた。

「心配だからですよ、あなたが」

だから、それはなぜなのかを聞きたい訳なのだけれども。
つーか、さっき心配してないって言ってなかったっけ。
そう問いかけようとした瞬間に、ひょいと何かを放り投げられて、私は慌てて胸の辺りに落ちてきたそれを受け取った。

「…スポーツドリンク?」

よく冷えた500mlのペットボトル。
表面に少しついていた水滴が、受け止められた衝撃でわずかに夏服のシャツに跳ねて透明な染みを作っていた。

「泣くな、とは言いませんが、水分と塩分はちゃんと補給しなさい」

もう沖縄は夏なんですからね、と説教じみた口調で木手は言った。
確かに、喉は渇いているかもしれない。

「…ありがと」
「どういたしまして」

キャップを回すと、カシュッという軽快な音がした。
そのせいか、少しだけ気持ちが軽くなったような気がする。
口をつけて1口含み、飲み下す。
体にこもった熱が開放されていく感覚が心地いい。
思わずほっと息を吐く。

「それと、これを」

すい、と優雅な手つきで目の前に差し出されたのは、この時期あちこちで見かけることができるハイビスカス。
赤いの、白いの、黄色いのと様々な色があるけれど、いま私の目の前で咲いているのは柔らかな薄紅色だった。

「…ハイビスカス?」
「ええ、ウォーターホールピンクという種類です」

そんな大層な名前だったのか。
夏ごろになると良く見かける種類だから、気にも留めていなかったけれど。

「何これ、どうしたの」

何となく流されるままにハイビスカスを受け取りながらたずねた。
木手は苦笑のような自嘲のような笑みを浮かべて答える。

「戻ってくる最中でみつけたのでね。ちょうどいいかと思いまして」
「何に、ちょうどいいの?」
「勿論、今のあなたにですよ」

くすりと喉を鳴らして笑った木手は、それ以上の理由を教えてくれなかった。
代わりに手の甲で私の髪を撫でてから、軽く手を上げて学校に向かって歩きだした。

「…あ、木手!」

私が呼び止めると、木手は足を止めて顔だけで振り返った。
横顔だけでも、整った顔立ちであることがよく解る。
私は左手のペットボトルと右手のハイビスカスを、木手に見えるように顔の前まで掲げて揺らした。

「これ、ありがとう」

木手は小さく頷いて、会釈するような動作をしてからさっきよりもやや早いスピードで歩き去った。
いちいちかっこいいのがムカつくな、くそ。
でも傷付いている時に、さりげなく気にしてもらえるのは嬉しい。

何だろう。何だか毒気を抜かれてしまった感じだ。
少なくとも、もう目が溶けるほど泣こうとは思わない。

目の前には青い空と海に、白い砂浜。
じりじりと照り始めた太陽の眩しい光が、手の中のピンクを一層輝かせている。

「…なーんだーかねー」

息を吐きながら呟いて、私は縮こまらせていた足を伸ばした。
潮風が髪を揺らす感覚に、さっきの木手の手の動きを思い出した。
あそこで頬でもすり寄せていたら、私達は恋に落ちていただろうか。

「せぇーしゅんだーわねー」

私の口から漏れた乾いた笑いを打ち消すように、ぬるくなりはじめたペットボトルに口をつける。
半分ほど一気に飲んでからキュッと蓋をしめて立ち上がり、スカートの砂を払う。

どこに行くあてもないけれど、もうここにいる必要はないと感じた。

とりあえず、行こう。
ここではない、どこかへ。

お供には、優しい色をした南国の花。
無骨なあの手が摘んだ花。
髪に挿せば、微かに心臓が跳ねた気がした。



1つの恋の終わりが呼ぶのは次の恋の始まりであると、その時の私はまだ気付かないでいた。







*

ハイビスカスの花言葉。
常に新しい美、勇ましさ、新しい恋。



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